Alii!! こんにちは!
さぁ~て、やっときました、トリビアの時間です!!
今回のトリビアは・・・
写真:写真撮影は2015年3月。天皇陛下ご訪問に際してパラオの国旗が橋の上、一定距離に揚げられている。
JPブリッジこと「日本-パラオ友好橋(Japan-Palau Friendship Bridge)」です!!
この写真は何回か登場してますよね。今回は詳細について紹介しま~~す!
そもそも、この橋梁はパラオ国際空港があるバベルダオブ島とパラオの総人口の3分の2が居住している旧首都のコロールを結んでおり、パラオでは無くてはならない橋です。では、なぜこの橋がJPブリッジと呼ばれているのでしょうか??
もともとこの場所には1977年に建設されたKBブリッジ(コロール島とバベルダオブ島の頭文字を取ってKB)がありました。この橋は韓国政府のODAで建設され、KBがKorea-Belau(パラオの別名)と掛け合わせることができたためこの名前が親しまれました。KBブリッジが完成するまで橋梁は存在しなかったため、このKBブリッジは住民や観光客の重要な生活の一部でした。また道路のみならず、水道管や送電線も兼ねていました。しかし、1996年9月26日、この橋が突然崩壊したのです。通勤時間であったこともあり、この崩壊により2名が死亡、4名が怪我を負い、パラオの経済に多大な影響を及ぼしました。その当時、首都であったコロールのライフライン(電気・水道・電話)も遮断されました。この事態を受け、当時のナカムラ・クニオ 元パラオ共和国大統領がパラオ初の非常事態宣言を発令しました。
この大惨事の後、しばらくの間は渡し舟や仮設の浮き桟橋で橋を作り代用していました。しかし、パラオ政府は日本に新たな橋の建設を緊急援助要請し、橋の崩壊から5年後の2001年12月、日本政府がODA(政府開発援助)によって1998年より4年間掛けた総工費約32億円の新KBブリッジが完成しました(開通は2002年1月)。日本政府の支援の下、日本の建設会社によって最新工法を駆使して、全長412mにわたる橋が建設されたのです。
マツタロウ大使の話では、特に一番最後のブロックが繋げられる時にパラオ全国民が見守っていたとのこと。最後のブロックのみがパラオ国外で作られ、バージ船によって運ばれてきました。橋の両サイドからクレーンで持ち上げられ、寸分の狂いも無くゆっくりと下ろされて固定されたブロックを見て驚きを隠せなかったとのこと。余談として、「そういえば、横浜ベイブリッジに似てないか?なんかJPブリッジのお兄ちゃん的な存在だね」とも言ってました。
この新しい橋梁を日本とパラオの友好の象徴としてJPブリッジこと「日本-パラオ友好橋(Japan-Palau Friendship Bridge)」と名付けられました!!ニューKB (Koror-Babeldaob)ブリッジとも呼ばれています。
写真:写真撮影は2015年9月。JPブリッジの水道管破損に伴い、仮設の水道管が設置されている。
現在、JPブリッジはパラオの発展に貢献しているとともに、橋の周辺で行われる独立記念式典でのボートレースの観覧場所となっており、パラオ人にとってとても馴染み深い場所となってます。週末も橋の両脇の公園広場で子供がよく遊んでいたりみんなで集まっていたりし、憩いの場です。まさに日本とパラオの友好の架け橋なのです!
みなさんがパラオを訪れた時には、必ずJPブリッジを通ると思うので、そのときは「ここが、あのJPブリッジか!!」と思い出してください~
それでは、Mechikung!Me a uriul~ さようなら!またね~~